投稿日:2008-04-12 Sat

ショートショートで有名な星新一の小説が、マラーティー語に翻訳され、出版されました。題名は『ボッコちゃんとその他のストーリー(Bokkochan Va Etar Japani Katha)』(Manovikas出版社/Rs.100)。ニッシム・ベデカル(Nissim Bedekar)さんが翻訳を手がけ、4月12日、プネ市内で出版記念式典が開かれました。
マラーティー語はマハーラシュトラ州の公用語で、9000万人の人によって話されています。しかし英語以外の外国語文学がマラーティー語に翻訳されることは稀で、あったとしても、一度だれかが英語に翻訳したものを、他の人がマラーティー語に翻訳するものでした。
こうした状況の中、Manovikas出版社は外国語の文学を直接マラーティー語に翻訳するプロジェクトを立ち上げ、今回日本語とともに、ロシア語、ドイツ語の小説も翻訳され、合同で出版記念式典が行われることになりました。このような試みははじめてとのことです。
ニッシム・ベデカルさんは、デリーのネルー大学で日本語の修士を取得後、文部省の奨学金で日本へ留学。現在は、プネのソフトウェア会社で翻訳に携わるかたわら、プネ大学で日本語を教えています。
「私は以前から星新一の物語が好きでした。事態が急変するところがおもしろいですね。きっとマラーティー語でも、『ウケる』と思いました」
『ボッコちゃん』は、星新一が1958年に発表したショートショートで代表作の一つ。近未来を舞台に、バーで働く女性型アンドロイド"ボッコちゃん"に対する男性客の絶望的な恋を描いた作品。
なお、かつて日本の文学作品がマラーティー語に翻訳された作品として、黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』があります。あるドイツ語の教授が「プネで教育に携わる人で読んだことがない人はいない」と表現するほど、多くの人に読まれているそうです。
今回の星新一の作品は、マラーティー語に翻訳されたものでは2例目。その意味で大変意義深いものになりそうです。

『ボッコちゃん』の翻訳を手がけたニッシム・ベデカルさん。出版記念式典で。
投稿日:2008-03-28 Fri

インドについての日本語ポータルサイト「インドチャネル」で私のコラムが掲載されました。
●インドで日本語を勉強する人が一番多い町(前編)
http://news.indochannel.jp/column/clm0000067.html
ぜひご覧ください。
投稿日:2008-01-25 Fri
プネ大学の日本語学科による展覧会「An Exhibition on Japanese Lifesyle & Culture」が、25日から27日まで、KothrudのYashwantrao Chavan Kaladalanで開かれています。プネ市長も会場を訪れ、「言葉はスキルでしかありません。外国と交流をするときは、言葉の裏にある文化や習慣を知る必要があります」と話していました。

20ほどのブースがあり、「贈り物」「結婚式」「お酒」「楽器」「侍」「忍者」「真珠の養殖」「浅草」「箱根」「ジェスチャー」「学校」「コンビニ」「関西空港」などいろいろなテーマにそって、チャートや模型を作っていました。
ひときわ目立ったのは「侍」のブース。5人のチームで、鎧、兜、お城、家、武器などのモデルを作りました。本物を見たことがなく、設計図もない中で、ネットから手に入れた平面の写真だけを手がかりに、立体の模型に復元しました。

鎧の装飾には、色紙を小さく切って、一つ一つ爆竹の形のように丸めて貼っていく、気の遠くなるような作業です。

家の藁葺き屋根には、ほうきの先を切って使い、木の屋根のところにはアイスの棒を使いました。そのためにたくさんアイスを食べたそうです(笑)

楽器のチームも三味線、琵琶、琴などの模型を作りました。遠めで見ると、本物に見えてきます。これらも写真だけを頼りも作られたものです。

浅草・浅草寺の模型も、作るのに大変時間がかかったそうです。チームの人は「写真では見えないところがあるので、作るときには想像して作りました」と苦労話を聞かせてくれました。

コンビニのチームは、店のレイアウトやサービスやマネージメントなど、パワーポイントにしてよくまとめていて、プレゼンテーションも日本語でよくできていました。しかし写真のように実際に目に見える形で展示するのに苦労したそうです。プネには日本のお店もないので、展示するものを集めるのが大変だったそうです。

「先生方とか、留学生とか、会社の日本人とか、いろいろな人からもらいました」
まさに、インドと日本の人と人との交流があってこそ、実現した展示だと思いました。
投稿日:2008-01-10 Thu

1月10日、プネのBal Gandharv Rang Mandirで、プネ印日協会による「生け花・盆栽展」がスタートしました。
プネには池坊流の生け花サークルがあり、同じく盆栽サークルもあり、どちらも10年以上の歴史があります。

興味深いのは、どちらもメンバーのほとんどが女性であること。また、生け花サークルのメンバーは約140人。うち何人かは、日本へも行ったことがあるそうです。
日本の文化がもとになっているといっても、使われている木、花、草はすべてインドの植物。日本では見たことのないものもたくさんありました。
また、その表現の仕方もインド独特のもので、日本とインドの文化が融合したものでした。

この↑作品を作った方は仏教をテーマにさまざまな作品を展示していました。
「これは仏教の曼荼羅を表したものです。輪廻、つまり人間の生と死の循環を表現しています」

こちらの作品を作った方は、今がインドと日本の友好年ということで、両国の友好をテーマにしたそうです
「左はインドの国旗の色を、右は日本の国旗です。それぞれからつるが伸びて交差していますが、これは両国の絆を表しています」

こちらの作品を作った方は、インド独特の食器や陶器などの入れ物を使っていました。
「ミニチュアの生け花をいろいろ作りました。その中で、これはインドの子供のおもちゃを利用して作ったものです」
来場者の中には、日本語を勉強していたり、日本へ行ったことがある人など、日本が好きだという方が多く、いろいろな人に触れ合うことができました。80歳のおばあさんは杖をつきながら、日本での旅行の思い出を懐かしそうに話してくれました。
同展示会は今週末まで行われる予定とのこと。
投稿日:2008-01-07 Mon
日本やアメリカでは最近、マンゴーの生果実の輸入が解禁されたことで、インドはその新たな市場を狙って動き出しています。そんな中プネが属するマハーラシュトラ州の農業マーケティング委員会(MSAMB / Maharashtra State Agricuture Marketing Board)は3月ごろに日本で「マンゴー・フェスティバル」を開くことにしたと発表しました。日本では植物防疫法によってマンゴーの生果実の輸入は原則として禁止されていたが、最近特別な殺虫処理方法ができたことで、限定的に輸入が開始されました。2006年ごろから一般のスーパーでもフィリピン産のものが売られるようになって、今ではすっかり市民権を手に入れました。
そして2007年から「マンゴーの王様」とも言われるインド産のアルフォンソ(Alphonso)種マンゴーの輸入が開始されました。

マハーラシュトラ州で海外輸出用に適しているマンゴー栽培地は、アルフォンソ種で655ヘクタールと、kesar種で504ヘクタール。両種合わせて2500トンの生産が可能で、その半数が海外に輸出可能な水準を満たすだろうと見込んでいます。日本やアメリカに輸出すれば、栽培農家は国内で売るより30-40%高い価格で売れるそうです。
しかし問題は輸出にかかる輸送費。日本へマンゴーを輸出している他の国は、フィリピンとタイ。それらの国と価格競争していくためには、輸送費がネックになるといいます。そこで、州はマンゴーの輸出に対して補助金を出すことにしました。
またある農家がマンゴーを輸出するためには、認証を受けなければなりませんが、これが1万8000ルピーかかります。州ではマンゴー栽培を促進するために、この半分を補助するそうです。
マンゴー輸出はマハーラシュトラ州だけではなく、国をあげた政策で、インド政府はすでに輸出とマーケティングに関する研究を行い、そのフィードバックをもとに、農家にトレーニングをするなどしています。
これからインド産のマンゴーが日本の食卓に並ぶことも多くなるかもしれませんね。
【Times of India】
http://www.savanifarms.com/




